Diary9/15~21 壁を乗り越えてこそ・・・。胸に刻んだ祖母の言葉

 

本日「ほうふ市民活動フェスタ」で

高校生による青い鳥の活動の展示

及び子犬子猫の譲渡会を開きます。

 展示会 10:00~14:30 

ルルサス防府2F 市民活動支援センター

 譲渡会 11:00~14:00 

ルルサス防府前 さくら広場

どうか若者たちの動物愛護への

取り組みを見にいらして下さい。

 

 

祖母は高齢になってから

多少の物忘れや持病はあっても

最後までしっかりしていて

町内の野良猫たちに気を配っていた。

 

もう現場には足を運ぶことは出来ないが

地域の愛護活動者たちの悩みを

静かに聞いてあげる役割を担っていた。

 

東京ではその頃は

既に野良犬は見かけなくなっていたが

ペットブームの陰で野良猫が増え

「地域猫」として生かす道が模索されていた。

そんなご近所の心やさしい人たちから

祖母はリーダー的な存在として敬されていた。

 

その頃の私はというと

祖母の近くに住んではいたが

わが子の教育や自分の仕事に追われ

動物愛護どころではなく

むしろ野良猫に心を傾ける人たちを

「感傷的」として距離を置いてもいた。

 

「タフでなければ生きて行けない」

チャンドラーの小説で有名な私立探偵

フィリップ・マーロウのセリフではこの後に

「優しくなければ生きている資格はない」

と続くのだが・・・。

当時の私は自分と家族のことだけで精一杯。

他を思いやるやさしさに欠けていた、と思う。

 

祖母は

そんな孫の私を遠くから見ていた。

ある日、野良猫にかまける人たちを

「ひま人の優しさゴッコ」と揶揄したとき

私の手を取って静かに話しはじめた。

 

「ひまで猫助けをする人なんているもんか。

誰もぎりぎりの生活の中で

それでも哀れな子たちを見捨てることが出来ず

やむにやまれず手を伸ばしているんだよ。

苦労するのを承知でね。

そりゃ暮らして行く上で誰にも壁はあるさ。

でも それを乗り越えるのが

本当の優しさと言うんじゃないのかい?」

 

あの時の祖母の言葉がグサリと刺さって

長年負い目に感じながら暮らして来た。

出来ない理由をあれこれ言いわけしつつ・・・。

そして退職したのを機に

私は「あいかつ」に飛び込んだ。

長年こころに刺さっていたトゲを

抜きたかったのかも知れない。

 

90歳近くなった祖母が

ある日ぽつりと私に告げたことがある。

「私はどんな性に生まれついたのかねぇ。

歳を重ねるとともに小さな野良猫たちの

いのちの愛おしさが増して来るんだよ。

これも百八つの煩悩の1つなのかねぇ?

でも・・・この煩悩があって良かった

そう思うんだよ」

 

その数年後に祖母は安らかに息を引き取ったが

私は祖母から聞いた数々の言葉を

今も遺言として胸に刻んでいる。

 

 

●9月15日(水)

 

保健所から生後2~3日のオスの子猫を引き取りました。(昴)

 

●9月16日(木)

 

山口新聞の取材を受けました。

生後3週間のオス子猫をトライアルに出しました。(ポー)

生後10日の子犬5匹を引き取りました。

(後日の撮影です)

 

●9月18日(土)

 

年齢不詳のメス猫(ライチ)をトライアルに出しましたが

失敗して戻りました。また里親様を待とうね。

生後1週間の子犬3匹を引き取りました。

 

●9月19日(日)

 

子猫のお見合い会を開きました。

2か月のメス猫をトライアルに出しました。(こたこ)

1か月のオス猫をトライアルに出しました。(キッス)

2週間ほどの子犬を2匹引き取りました。(すず らん)

 

●9月20日(月)

 

2か月のメス子猫2匹トライアルに出しました。

(ホルン レミン)

1・5か月のオス猫を引き取りました。(たけまる)

 

●9月21日(火)

 

年齢不詳のオス犬カルマをトライアルに出しました。

2・5か月のオス子猫をトライアルに出しました。(スダチ)

 

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